オギノ式の荻野久作先生は新潟市出身だったなんて?!
あの有名なオギノ式の荻野久作先生は新潟市の病院に勤めていた
あの有名な「オギノ式」。
その詳細まではわかってなくても、誰もがその名称くらいは聞いた事があると思われる医学の法則。
オギノは人の名前で、1975年に新潟市で亡くなったのだそう。あんな著名な方が新潟市出身だったなんて・・・と思ったら、出身は愛知県みたい。
上記画像はオギノ公園の荻野久作像。
荻野博士の生い立ち
簡単に博士の生い立ちを。
- 愛知県の現在の豊橋市の出身。
- のちに荻野忍という人の養子になる。
- 東京帝国大学(現東京大学)医学部を卒業。
- 同大病院に勤務後、新潟市の竹山病院に勤務しつつ、新潟大学に所属。
- 竹山病院の第3台院長。
- 1975年に新潟市の自宅で奥さんに看取られてこの世を去る。
ということで、新潟市出身ではないものの、新潟市にながく住まわれて研究をされていたんですね。
そして今も存在する割りと有名な産婦人科の竹山病院の院長だったとは驚きです。
荻野博士の功績の概要
産婦人科医で医学博士。
排卵と受胎の時期に関する「荻野学説」を提唱し、子宮頸癌の「岡林術式荻野変法」を確立。という凄いお方です。
また、受賞歴が凄いです。
- 第二回世界不妊学会名誉会長
- ブラジル産婦人科学会名誉会員
- 日本産婦人科学会名誉会員
- 新潟市名誉市民
- 勲二等旭日重光章
- 紫綬褒章
- 日本医師会最高優功章
- 朝日文化賞
- 第四銀行賞
などなど(竹山病院公式サイトから抜粋)。凄い受賞歴(汗)。現在の竹山病院の理事長が曾孫さんだそうです。
新潟市名誉市民ていうのがあるんですね。知らなかった。
まとめ
「オギノ式」というと、避妊法としての認識が広く知れ渡っていますよね。
でもそれは、荻野博士の意思とは反することなのだそう。
オーストリア人が博士の理論を避妊法として利用することを提唱したことが始まりで、荻野博士は、避妊法としての利用は不確実という見解から反対し、むしろ不妊治療に使うことを推奨していたのだそう。
荻野博士の自宅があった辺りは、中央警察や日銀新潟支点の近くです。博士の没後、新潟市民の意向でオギノ通りと名付けられたそうです。美たか寿しやパンヤオルタなどがあるビルの斜め向かい辺りに、オギノ公園というのもありますよ。
せっかくなので、お近くにお越しの際は、「この辺りに著名な博士が住んでらしたんだな~」一度ご覧になって損はない気がします♪
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